『三途の川』ってどんな川?

この記事は約8分で読めます。

 ブログをご覧の皆さん、こんにちは。
GWも終わって早一か月経ちましたね。休み疲れは取れましたか?(笑)
6月は祝日はない月なのでながーーーーーく感じる方も多いのではないでしょうか?
少し話題の時期はズレましたが、連休中のニュースで、毎年恒例、というか盆・正月・GWになると必ず話題になる高速道路の渋滞についてですよね。東名高速を中心に、今年も最大40~50キロの渋滞が発生したようです。ちなみに40キロって具体的にどれ位の距離かというと、札幌を起点とすると、千歳・小樽・岩見沢位までの距離になるでしょうか。北海道民の私には想像もできないですし、車内で用を足せる「携帯トイレ」も必要だなぁとも思ってしまいました(笑)

 さて、今回のテーマは『三途の川』についてです。
これは私の母親の体験になりますが、若い頃に大病を患い死線を彷徨った事が有り、その時に見た景色を話してくれた事があります。綺麗なお花畑の向こう側に、病気や戦争で亡くなった兄2人が立っており手を振っていたと。でも耳を澄ましてその声を聞いてみると「来るな!来るな!」と言っていたそうです。しかし、母は可愛がってもらった兄達の所に行きたくて、そのお花畑に一歩足を踏み入れたら、何故か物凄く冷たく感じて足を引っこめた。その瞬間に蘇生したとのことです。その時にもし母が向こう側に渡っていたら、今、私はこのブログも書いていないわけですね(笑)
 仏教と深い関わりを持つ三途の川について理解を深めれば、日頃の行いを見直し、人生の最後を考えるきっかけになるかもしれません。今回はいつもながら簡単にはなりますが、三途の川がどんな場所か、どのように渡って行くのか等、仏教との関係や豆知識を紹介してみようと思いますので是非、最後までご覧ください。

1.三途の川とは比岸と彼岸の境界にある川

三途の川って?

みなさんも良く聞く言葉の三途の川とは、死者があの世に行く時に渡る川です。死後の世界の言い伝えではありますが、この川の意味や由来には仏教と深い関わりがあります。

死後7日目に三途の川を渡る

 人は死後7日目に三途の川を渡るとされていて、三途の川があるのは比岸しがん(現世)と彼岸ひがん(あの世)の境界といわれています。あの世では四十九日まで7日間毎に死者の魂の行き先を決める審判が行われ、十王と呼ばれる十人の王によって裁かれます。初七日にあたる死後7日目が一回目の審判が下される日。このタイミングで死者の魂も三途の川に辿り着くとされています。一回目の審判は十王の一人である秦広王(しんこうおう)によって、殺生等の罪がないか問われます。ちなみに秦広王はあの不動明王の化身です。この審判を終え、行方の定まらないものは三途の川を渡るとされています。極楽と地獄を描いた図では審判の前に川を渡るものもあります。また宗派によっては、死後すぐに極楽浄土に向かうので三途の川そのものがないという事もあります。死後の世界に対する考え方は宗教によって様々ですね。
 例に挙げると、キリスト教では死は人間の原罪(人が誰しも持っている悪への傾向性)に対する罰とされています。かみ砕いて説明すると、神への反抗心が大きければ原罪が大きいという事と解釈しています。無宗教の方はどういった死に対してどういった考え方をしているのかもちょっと気になるところではありますね!

三途の川の由来は?

 三途の川の「三途」には、大きく二つの由来があるとされています!
まずひとつ目は、仏教の教えというよりは通説とされているもので、死者の渡る場所が「三か所」あるからというものです。急流浅瀬橋の上、と、生前の罪により渡っていい場所が決まっており、三つの途(みち)があることがその名に繋がったというものです。急流が選ばれた人は必至に川を渡る姿が想像できますね(汗)
 そしてもうひとつは仏教の教えのひとつ「輪廻転生」に由来する説です。輪廻転生とは死者は極楽浄土に行くまでに6つの世界への生まれ変わりを繰り返すというもので、そのうち地獄道・餓鬼道・畜生道の3つは三悪道とも「三途」とも呼ばれます。この三途を分かつ川から、三途の川になったといわれています。三悪道については下記の通りとなっています。

・地獄道→火で焼かれる世界。火途(かと)とも呼ばれる
・餓鬼道→刀で酷い扱いを受ける世界。刀途(とうず)とも呼ばれる。
・畜生道→互いに食い合う世界。血途(けつず)とも呼ばれる。

悪い行いをすると、死後も恐ろしい世界が待っているので悪い行いはしないようにしましょうね(笑)

三途の川の渡り方は、生前に犯した罪で決まる

 前述にも少し書いている三途の川の渡り方について少し詳しく説明していきますね。
三途の川は3種類の渡り方があり、それは生前に犯した罪の重さにより決まると言われています。善人は安全で楽に川を渡れ、罪が重いほど危険で苦しみを伴う渡り方になっていきます。個人的な解釈ですが、このような教えを広めることにより、昔は現世での犯罪率の軽減を計る意味もあったのではないかと思いました。では本題に戻り、川の渡り方についての説明をしていきましょう!

・川の渡り方
●善人→金銀七宝でできた橋を渡る。

●軽い罪を犯した人→山水瀬(さんすいせ)と呼ばれる川の浅瀬を自力で渡る。山水瀬とは膝下あたりまでの浅瀬の事なので比較的渡りやすい場所です。

●重い罪を犯した人→三途の川の下流にあるとされる強深瀬(ごうしんせ)あるいは江深淵(こうしんえん)を自力で渡る。急流で波も山くらいの高さがあり、渡っている途中に上流から巨石が流れてくるために罪人は潰されて死んでしまうが、何度も生き返りこれを繰り返す。その他、大蛇や鬼が待ち受けて襲ってくる。

重い罪を犯した人が渡る強深瀬は死んでますがまさに生き地獄ですね(苦笑)生き返って繰り返し繰り返し苦行を強いられるのは正直かなりキツイですね・・・
軽い罪と重い罪の境界線等も記事を書いていて気になったところですね!どの程度までなら許されるのか・・・?みたいに思ってしまいました。この時点で強深瀬行きになりそうな気もしますが(汗)

2.三途の川と関係の深い言葉の意味

六文銭ろくもんせん
 平安末期頃になると、橋を使うのではなく渡し船に乗って三途の川を渡ると考えられるようになっていきます。その時の渡し賃が六文でした。今で言うと300円くらいでしょうか?ちなみに仏式の葬儀では、死後の世界で使うお金「冥銭」として棺に納められます。かつては本物の貨幣でしたが現在は一文銭が使われておらず、金属製の貨幣は火葬した時に燃え残るため、紙に印刷したものが納められます。また、真田幸村で有名な真田家の家紋は六文銭というのを知っている方も多いのではないでしょうか?

●石積み
 石積みにまつわる説も色々ありますが、一説には親よりも先にあの世に旅立った子供が、親不孝の罪を償うためにおこなうものとされています。この説は、親よりも先に亡くなる事は罪という考えから来ています。そのため子供たちは「賽の河原」で「一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため」とつぶやきながら、石を積み上げて塔の完成を目指します。ところが完成目前になると鬼が現れ、塔を壊してしまうため再び一から作らなければいけません。親が子供の死を受け止めきれず苦しんでいる間、子供たちは石を積み上げ続けなければならない。そんな辛い石積みから子供たちを救うのが地蔵菩薩です。子供たちの前に現れ、無事成仏へと導いていくとされています。なかなかこれに関しては酷な話しだなあと思います。不慮の事故などで亡くなった子供も石積みに参加していると考えたらこの話しはゾッとしますね(汗)

さい河原かわら
 賽の河原は三途の川を渡る前にあるとされる河原です。一説によると、賽の河原に前述した地蔵菩薩が現れるそうです。新潟県佐渡市には賽の河原と呼ばれるところがあります。幼くして亡くなった子供たちの霊が集まるとされ、古くから信仰を集める場所だそうです。

奪衣婆だつえば懸衣翁けんえおう
 三途の川を渡った所にある衣領樹えりょうじゅの下に待ち構えるのが、奪衣婆と懸衣翁と呼ばれる老夫婦。一説によると奪衣婆は渡し賃の六文銭を持っていない死者から衣服をはぎ取るそうです。懸衣翁は奪衣婆が死者からはぎ取った衣服を衣領樹の枝に掛け、その時のしなり具合で生前の罪の重さを計るとされています。そんな奪衣婆ですが、民間信仰の対象にもなっており祀られることもあるそうです。名前からして見た目も恐ろしそうで絶対に会いたくないですね(笑)

3.三途の川にまつわる豆知識

『本当にある!?日本の三途の川!!!』
なんて週刊誌風に書いてみましたが、日本には三途の川と呼ばれる川が全国各地にあります。今回はいくつかそちらを紹介していこうと思います。

小津川しょうづがわ(青森県むつ市)の別名が三途の川とされています。この川の上流には日本有数の霊場、恐山があります。

白倉川しらくらがわ(群馬県甘楽町)が「三途川(さんずがわ)」と呼ばれており、そこには「三途橋」という橋がかかっており、かたわらの姥子堂(うばごどう)には前述した奪衣婆が祀られています。

『三途の川に関連することわざがある!?』
三途の川に関することわざもいくつか紹介しようと思います。

・雨だれは三途の川
【雨が軒先から垂れる様子を三途の川に例えた諺。外出する時にはどんな危険があるか分らないので気を付けなければならない、という戒めを意味します。】

・地獄の沙汰も金次第
【沙汰とは物事の善悪を判断するという意味。つまり地獄での審判もお金を渡せば罪が軽くなるとされることから、お金があれば何でも思い通りになるという意味です。お金を持たない者は三途の川を渡れないという考えから、「三途の川も金次第」という類語もあります。】

まとめ

 死の瀬戸際にあった人が「綺麗な川を渡ろうとしたら、死んだはずの家族が『渡ってはダメだ』と言って引き止めてくれた」というような形で、三途の川を夢に見た事を語る体験談は少なくありません。冒頭に紹介させて頂いた私の母親の話もその部類に入るのでしょう。これまで述べて来ましたように、三途の川は仏教に基づく伝説上の場所で、本当にあるかどうかは定かではありません。
 しかし、もしあるとしたら、川を渡る時に重要なのは生前に重ねた罪の重さ、善人として三途の川を渡れるように、日頃の行いを振り返る事も良い事なのかもしれません。私もすぐ忘れてしまうかもしれませんが気を付けていこうと思います(笑)

では、また次回のブログでお会いしましょう!



おおぞら葬儀社では、24時間365日、充実した家族葬をおこなっております。

苫小牧近郊で火葬式・家族葬をお探しの際には是非【おおぞら葬儀社】にご相談ください。

【おおぞら葬儀社へはこちらから→】http://oozora-sougisha.com/