『お彼岸』ってなに…?どんな意味…?

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今年もお彼岸が近付いて来ましたね。祝日もありますので家族・親族でお墓や納骨堂にお参りをして、ご先祖様に手を合わせる方も多いのではないのでしょうか?

これは北海道あるあるの話しですが、札幌市を含む雪深い地域では、お彼岸にお墓参りに行くと墓石を掘り出すところからがスタートです(笑)
私も随分と前の話になりますが札幌市内でも大きくて有名な霊園の除雪がされていませんでした。霊園に着くや否や長靴に履き替えて、墓石の頭くらいしか見えていない状態のところをスコップで掘り返した経験があります。お墓周りまで完全に除雪するのに、一時間以上掛かり汗だくになりましたね(笑)
お参りに行くというよりは、まるで筋トレに行ったようなものです。おまけに当日は、もう一か所の霊園にも参って同じような筋トレをしたものですから、帰る頃にはヘロヘロで車の運転も危なかったくらいです(涙)

そんな苦い思い出もありながら、今回は『お彼岸』をテーマに、簡単にはなりますが考えていきたいと思います!

1.そもそも彼岸とは?

彼岸(ひがん)

日本の雑節のひとつです。
雑節とは季節の移り変わりをより適格に掴むために設けられた、特別な歴日のことらしいです。
例えば、「節分」や「八十八夜」とか「土用」などなど9種類もあるそうです。「暑さ寒さも彼岸まで」という気候を表す慣用句は多くの方が耳にすることが多いでしょうが、季節の移り変わりに敏感だったのは種蒔きやらその収穫やらで、やはり日本人は農耕民族であったということでしょうね。このことは後にも詳しく説明させてもらいます。

彼岸は秋にもあり、それぞれ春分の日、秋分の日と呼ばれ国民の祝日にもなっています。
この春分・秋分を中日(ちゅうにち)として、その前後各3日を合わせた各7日間(年間だと計14日間)を彼岸と呼ぶそうです。普段生活してても祝日は訪れるものであり、必ず目にする耳にするのでこちらはトリビアのひとつとして雑談等に使えそうですね!

またこの期間に行う仏事、お寺でお坊さんがお経を唱えたり私たちがお墓参りに行ったりすることを彼岸会(ひがんえ)と呼んでいるようです。

2.起源・由来・歴史

彼岸という行事は日本独自のもので、インドや中国の仏教には無いことから日本古来からある「日願(ひがん)信仰」と、仏教伝来後に生まれた「彼岸」という考えが結びついたことで生まれたといわれています。
「日願信仰」とは古来より農作が盛んであった日本では、「作物を育てる太陽」と「私たちを守ってくださる祖先神への感謝」を基本とした太陽信仰が定着しており、この信仰は「日願」とも呼ばれていました。そして、仏教伝来後の日本では二つの理由から「お彼岸の時期に仏教修行を行うことで、悟りの境地である浄土の世界(=彼岸)に至ることができる」という思想が生まれました。

①西方の遥か彼方に浄土の世界(彼岸)があるとする「西方浄土(さいほうじょうど)」の考えに基づき、太陽が真東から出て真西に沈むお彼岸の時期は、浄土への道しるべができる時とされている。

②昼夜がほぼ同じ長さになることから、一年の中で、「この世」と「お浄土」との距離が最も近くなり、思いが通じやすくなる時と考えられている。

この二つの思想が結びついたことで、最終的には「ご先祖さまへの供養を行いつつ、仏教修行をすることで自分自身を見つめ直す時期」というお彼岸という行事が生まれました。日本で初めての、最古の仏教行事としての彼岸会は「日本後記」によると、延暦25年(806年)に無罪を訴えて死去した崇道天皇(早良(さわら)親王)の怨念を鎮めるための祈りの行事だとされています。

こうみてみると二つの意味があるダブルミーニングからはじまって今の雑節のひとつに変化していったのですね!色々な記事でも書いてますが、基本的にインドが由来のものが多い中、独自の文化が広まっていき定着したというのはなかなかに凄い事、歴史を少しだけ感じれたなと思いました!

3.仏事としての彼岸

そもそもお彼岸とは「到彼岸(とうひがん)」という意味で、煩悩や迷いのある世界から、悟りの開けた世界へ至ること、至るために行う修行のことを指します。つまりお彼岸とは、仏教者たちの修業期間だったのです。悟りの世界に至るための修業とは「波羅蜜多(はらみった)」と呼ばれるものです。

波羅蜜多の語源はサンスクリット語で「paramita(パーラミタ)」という言葉で、仏教用語で「彼岸(パーラム)」「至る(イタ)」の二つの意味を持つ言葉だそうです。仏教では元来、煩悩に満ち溢れるこの現世のことを「此岸(しがん)」と呼び、それに対して、悟りの境地である涅槃(ねはん)、あの世の世界のことを「彼岸」と呼びました。「此岸」とはこちら側の岸、という意味で、「彼岸」はあちら側の岸、の意味です。そしてその双方の間には川が流れています。お気づきの方も多いと思いますが、その川はよく皆さんも耳にする、生と死の世界を隔てる川。そう!「三途の川」のことです!

川は仏教にとってとても象徴的な場所で生と死を分けるだけではなく、煩悩と悟り、俗世と来世を分けるものとされています。お彼岸に行うこととしてお墓参りの他に「修行」があります。とはいえ難しく考える必要はありません。自分にできることから始めるのが大切ですので、構える必要はないといわれています!前回の記事でもそうですが、仏教は割と自由だなあと改めて感じますね!

六波羅蜜

次にお彼岸に行われる修行「六波羅蜜(ろくはらみつ)」について説明をします。
六波羅蜜は6種類の「善」についてまとめられています。

①布施(ふせ)→完全な恵み、施し。有形・無形を問わず、人のために惜しみなく善いことをする。施す側も、受け取る側も、見返りを望んだり期待をしない。

持戒(じかい)→戒律を守り、自己反省する。自分勝手になるのではなく、常識や道徳を以て自らを戒め、つつしみを以て譲り合いながら生活する。

③忍辱(にんにく)→完全な忍耐。辛いことがあっても困難に耐えて頑張ること。

精進(しょうじん)→努力の実践。最善を尽くして、ひと時も無駄にすることなく努力すること。良い結果が得られても驕らず、さらなる向上心を持つこと。

禅定(ぜんじょう)→心作用の完全な統一。冷静に自分を見つめ、心を静めて平静を保って動揺しないこと。

⑥智慧(ちえ)→真実の智慧を開現し、命そのものを把握する。真理を見極め、真実の認識力を得ること。

「修行」というと座禅を組んだり、山に籠ったりと修行僧でないと挑戦できないようなハードルの高いものを想像する方も多いかもしれませんが、このように六波羅蜜の内容を見てみると、修行というよりも、人生における大切な考え方・生き方の指針といった内容になっていますよね!
人に優しくしたり、正しく生きるために自分の心がけ次第で実践できそうなものばかりではありませんか?

ケチになったり、自己中心的になったり、諦めたり、怠けたり、六波羅蜜に背くような行動をしないように意識して生活をしていき、より良い行いができるように、お彼岸の間、皆さん自分なりに過ごしてみてはいかがでしょうか。私も【出来るだけ】頑張ってみます(笑)

4.彼岸の雑学

お彼岸で一番ポピュラーな食べ物と言えば、皆さん何を思い浮かべますか?期間中はスーパーでも特設コーナーが設けられるほどの「あの食べ物」ですね!
そう!正解は「おはぎ」です。北海道では季節を問わず「おはぎ」ですが「ぼたもち」と呼ぶ地域も多いようです。実はおはぎとぼたもち、基本的に同じものなんですが違いもあるのですよ。
まず、春分には「ぼたもち」です。これは春、牡丹(ボタン)の花が咲く時季なのでぼたもちです。
秋の秋分には「おはぎ」です。これも季節の花が関係していて、秋は萩の花が咲く時季だからという訳です!まぁ、同じ食べ物なんですがね(笑)

その他の雑学は、材料となる小豆についてです。
小豆の赤色は古代中国の時代から魔除けや長寿を願う色として使われて来たそうです。そのため死者や祖先を偲ぶお彼岸に小豆をたっぷりと使ったあんこで作られたお餅を供えることになりました。

まとめ

いかがだったでしょうか?

彼岸は年2回あって春分の日と秋分の日、そのどちらも祝日になっていますが、毎年の太陽の動きを国立天文台が観測し、前年の2月1日に政府が発表することで正式に決定になるそうです。
大雪や寒さで凍えそうになっていた北海道ですが、ようやく雪解けも進みプラスの気温になる日も多くなってきましたね。

季節が移り変わり、この世とあの世が近くなるお彼岸。
お墓参りやお寺参りをして、亡くなった方々・ご先祖様を偲んでみませんか?

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