実は身近な仏教のことば・ことわざ

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日常生活を送っているときに何げなく使っている言葉。その中に実は仏教が由来の言葉がたくさんあるって知ってましたか?今回はその中からいくつかをご紹介させていただきます!

雑学として知っておくのも良し!本来の意味を知っておくのも良し!

これを機会に仏教や葬儀について興味や関心をもっていただければ筆者としてもうれしく思います!

1.ありがとう

どんな人でも日常的に【ありがとう】ということばは使うと思います。実はこの言葉、仏教が由来だったんです!

感謝の気持ちを伝えるとき、お礼を言う際によく使うことばですが、「滅多めったにない事」、「有る事がまれである事」という言葉から、「有りがたい」、「有りがたし」と、使われていくようになりました。

このことから、私たちが日常で「当たり前」と思っている事、何気ない日々や日常が実は「有りがたい」「まれな事」なんだよ。それに感謝をする事が大切なんだよ。と、説かれています。

2.情けは人の為ならず

その人の為を思って親切をしたら、それはかえってその人の為にならないから良くない事だよ。って意味で覚えている人がかなり多いこのことわざ。ほんとうは真逆の意味に近いことわざって知っていましたか?

「誰に対しても親切にするべきだ。人にした親切は自分にめぐりめぐって戻ってきますよ。」

というポジティブな意味でのことわざなんです!

2つ意味として誤解するポイントがあり、1つ目は「情け」とは同情という意味ではなく、実は人間味のある心。他人をいたわる心。人情。思いやり。という意味だったんです。2つ目は「ならず」です。否定的・打消しの意味をもっているこの言葉ですが、打消しをしている場所が「ため」にならずではなく、「人のため」にならずと本来は解釈します。

すると、「情けは人のためにならない」から「情けは人のためではなく、自分のためにもなる」という解釈に繋がっていきます。

2つの意味を合わせると「他人をいたわる心は人の為ではなく、自分の為にもなる」と、解釈できます。つまり上記に書いてある本来の意味となるんですね!

3.弘法にも筆の誤り

よく使われることわざのひとつの「弘法にも筆の誤り」ですが、「弘法こうぼう」っていったい誰なんだろう?「弘法こうぼう」とは「弘法大師こうぼうたいし」のこと、「弘法大師こうぼうたいし」とは「空海くうかい」のこと。「空海くうかい」とは真言宗の開祖のお坊さんです。ちなみに本名は「佐伯真魚さえきまお」といいます。

知っている人の方が多いくらい有名なことわざですが、空海のような筆の達人であっても書き損じてしまうことはあるよ。「どんなに優れた人でも失敗することはある」という意味です。

場合によっては「弘法も筆の誤り」と記載されていることもありますがどちらも同じで正しいです。

同じ意味合いのことわざには「猿も木から落ちる」、「河童の川流れ」などがあります。

私も小さい頃はことわざの本を親に買ってもらい、同じ意味のことわざがなんでこんなにいっぱいあるんだろう?と疑問に思った事もありましたが、そのことわざの起源・ルーツを調べていくと様々な背景やエピソードがあり、面白いなあと子供ながらに感じていました。

余談ですが空海本人は自分のことを「弘法大師」と名乗ったことはないといわれています。理由としては、空海が亡くなったあとに功績や偉業を称えるために送られた「おくりな」が弘法大師といわれているからです。「おくりなとは、死後に送る称号のことで、身近なところでいえば、「戒名かいみょう」にあたります。

戒名かいみょう」、「法名ほうみょう」に関しては後日こちらブログで取り上げていこうと考えていますので、その際にも是非読んでいってください!

4.超

現代人ならほとんどの方が超〇〇!と一度は使ったことがあろうことばの「超」も仏教からきたことばのひとつとされているんです。

現代では【とても】【すごい】のような意味で使われている超ですが、仏教では限界を超えた無限の世界を「超」といい、そこから派生して現在もよく使われることばになっています。

超スゴイですね!仲間内でクイズとして出題しても超面白そうですね!

わざとらしく使ってみましたが私自身は誇張表現のように大きく見えてしまうのでそこまで好んで使いたがらないです(笑)

5.仏の顔も三度

仏ということばが入っている時点で仏教が関係しているのはわかりきっている事ですが、実は意外?とそうなんだ!という意味があったりするので書かせていただきました。

「どんな温厚な人でも、何度も無礼をされれば怒り出す」

このような意味のことわざですよね。「仏の顔も三度撫ずれば腹立つ」の略だって知っていましたか?私は「撫ずる」ということが知りませんでした。本来仏様は拝むものであり、顔をツルツル撫でることは、失礼にあたります。つまりいくら温厚な仏様といえど三度も顔を撫でられちゃ怒り出す。という意味があったんですね。

6.布施

歌手の布施明じゃないです。お布施の方の布施です。

こちらもお寺や神社でしかほとんど使うことがないので仏教の用語だと理解している方がほとんどかと思います。お金を布施するというイメージを持っている人が大半の「布施」ですが、原語はサンスクリット語の「ダーナ」といわれており、「ダーナ」とは自分の大切なものを提供する。与えること。という意味なんです。

「ダーナ」を調べていくと様々な言葉の語源になっていて面白いと感じたので、少し布施からは外れますが紹介していこうと思います。

旦那だんな(檀那)も「ダーナ」が語源となっていて、妻が夫のことを旦那と呼ぶのは、働いて給料を家庭に持ってきてくれるという事に由来しています。他にも布施をしてもらっている側が、布施をしている側のことを旦那・檀那と呼んでいます。そして檀那の家のことを檀家と呼んでいます。檀家ということばはよく使いますが、このような由来があったんですね!

他にも医療現場で使われている骨髄や臓器の提供者を「ドナー」と呼びますが、こちらも「ダーナ」が語源とされています。サンスクリット語がヨーロッパに伝わり、「ドナー」ということばになり現在の臓器提供者という意味になりました。

臓器提供者に対して見返りがあっては布施の精神にはならない。臓器提供者に会ってはいけないのは「ダーナ」という布施の精神があり、対価や取引があってはならない。という由来だったのですね。 

話しは戻りますが「布施」とはもともと先祖の供養をしてくれるお坊さんへの感謝の気持ちとして渡して家にある反物や骨董品やお金を渡すこと。現在ではお金を渡すことを一般的に意味します。

お坊さんへの感謝の気持ちとして渡しますが、実はお坊さんの懐に入るのではなく、お寺の修繕費、お寺で行われる行事の運営費など、お寺の活動を支える費用として使われています。

まとめ

今回は馴染みのある身近な仏教のことば・ことわざを6つ紹介させていただきました。

言葉や意味自体は知っているけれど、実はこんな由来や語源があったんだ!と、思ったこともあったとあったのではないでしょうか?読者のみなさまにとって葬儀に関連した身近な事柄や名前は知ってるけど実際これってなんのかな?という疑問をこれから載せていきますので是非最後まで読んでくだされば幸いです。

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